【雨衣カノジョSS】佳風流ルートがあったらこんな感じというテキスト

2017/3/31
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本テキストは『雨衣カノジョ』A面、B面のネタバレがございます。
クリア後にご覧ください。

「もしくはifのエンドまで」

   ◆

 きみの努力で、雨が止んで。
 そこに風は吹くのだろうか。

 だからぼくは、初期衝動なんてものが本当に存在したのか、もう覚えていないのだけれど。

   ◇

「――……どうして、ですか?」

 豪雨の中で、彼女は俺に問う。

「どうしてあなたは、そこまでして……わたしに、優しくしてくれるんですか?」

 誤魔化しのきかない、きっと心の底からの問。
 高熱によって侵された頭は、思考を阻害している。
 しかし不思議と芯の部分は落ち着いていて、普段では常識で阻害している部分まで至っているような気がした。

 どうして彼女を放っておけなかったのか。
 その理由は、きっと――

   ◇

「いつの間にか雨があがってますねぇ」
「そうだね」

 縁側から夜の空を見上げて、俺と和事はつぶやく。
 先程までしとしとと降り注ぎ、大きな水たまりをつくっていた雨は、気がつくと止んでいた。

「どうしましょう。お洗濯もの干しておきましょうか?」
「いや、大丈夫だよ。そんなに何でもやろうとしなくて大丈夫だから」

 甲斐甲斐しく働こうとする彼女を制止する。和事は残念そうな顔をして、俺の横にちょこんと正座した。

「もうそろそろ夜だね」
「はい。夕飯の準備をしてきます」
「材料の野菜、もうなくなってたかもな」
「わたしが採ってきますね」
「あの畑、雑草がすごいことになってるんだよね」
「ついでにばっちり抜いておきます!」
「そういえば農作業の道具を置きっぱなしにしてたかも」
「力持ちの和事にお任せください!」
「ちょっと暗くなってきたね」
「電気をつけましょうか!?」

 めちゃくちゃやる気満々な和事だった。
 そんな彼女をじっと見つめると、恥じ入ったように含羞の表情を浮かべる。

「ごめんなさい、鬱陶しかったですよね」
「いや、そんなことないんだけど……本当、そんなにやってくれなくてもいいんだから」
「はい……」

 しかし彼女は妙に落ち着かず、そわそわしているようだった。
 それからふらふらといなくなったと思うと、結局洗濯ものを干していた。

「えっと……ほら。これが乾かないと明日着るものがないとおっしゃっていましたから!」

 そんな働き者の同居人に苦笑をもらしてから、俺は畑へ向かった。
 季節は春。3月27日。
 そろそろ、春休みはおしまいだ。

   ◇

「さぁ問題。ぼくの誕生日って、いつだと思う?」

 東京にいた頃、佳風流にそんなことを尋ねられたことがある。
 たしかあれは1年生の時のことで、春休みの直前だったのではないだろうか。

「問題?」
「そうだとも。まぁ支倉くんはこのラブリーなかふるんのことが好きで好きでたまらないはずだから、これはサービス問題になってしまうとは思うけどね?」
「あっ、灰谷家に問題ってことか」
「なんだぁ? 人を不行状な跡取りみたくいうな? テクニカルな問題だぞ?」
「クリティカルだろ」
「いいんだよ。テクニカルなの。かふるんはテクニカルな可愛らしさを演出してるの」

 なんで不行状が言えてクリティカルが言えないんだよ。

「それで、ぼくの誕生日いつだと思う?」
「そう尋ねるってことは……今日なのか?」
「ぶぶー、間違えるごとにぼくの好感度が1ずつ下がっていくからな」
「1月1、2、3、4、5、6……」
「下手な鉄砲この野郎! しまいには泣くぞ! ああ泣くよ泣いてやるとも、人目を憚らず号泣してやるからなぼくは! うわぁ~ん!」
「分かった分かったやめろ」
「この人にエッチないたずらされちゃったよぉ~!」
「本当にやめろコラ」

 天下の公道でなんてことしてくれやがるんだろうか。
 まぁそれはともかく、佳風流の誕生日か。そういえば聞いたことがなかったな。
 俺はわりと我ながらマメな性格をしているので、アドレス帳に相手の電話番号と住所、それに誕生日をメモしている。
 だが佳風流の欄には誕生日だけが抜けているのだ。

「それで、いつなんだ?」
「だから問題だって言ってんだろぉこのおぽんち」
「ヒントをくれよ。現状で当て推量にもほどがあるぞ」
「ああ、それならぼくという存在を加味して考えてみると、自ずと答えにたどり着くぞ」
「お前という存在?」
「そうだとも。かふるんとは?」
「女装男……?」
「もう一度言ってみろ、手袋投げつけてやる。びゃっと投げつけてやるぞ。決闘だ」
「えぇ、分からねぇって……」

 佳風流といえば……女装が似合う。本当に、それが一番大きなファクターだ。
 なにせ俺が初めて見た時、あらかじめ男だと噂で聞いていたのに、信じられないと思ったほどだった。
 今よりも少しだけ長いたっぷりの黒髪をなびかせて、どことなく憂うような濡れた瞳が、ぼーっと空間をさまよっていた。
 これが男だなんて、さすがに嘘だろうと思ったほどで……。

「じゃあもう当てずっぽうでもいいよ。言ってみろ」
「4月1日」
「う~ん、正解! ……って、へ?」

 当たってしまった。
「なんだ、お前エイプリルフール生まれなのか?」
「しかも午前中」

 それは、なんというか……。

「気の利いた日に産道を通ったもんだろ、ぼくも。褒めていいぞ?」
「褒めるのはお前じゃなくてお母さんだろうが」

 そういえば、佳風流のお母さんって見たことがないな……。
 ……いや、一度だけあったか。こいつの家にゲームを返しにいった時、佳風流と間違えて声をかけたんだっけ。本当に瓜二つという感じで驚いたものだ。おまけに声もそっくりだったから、間違いなく母親だろう。
 しかし性格はなんというか、ちょっと気弱そうな雰囲気のする人だった。
 あんまり自分の意見を言うのが得意じゃなさそうというか……。

「というわけで、4月1日はきみの家で大層お祝いしていいからな。心配するな支倉くん、もう予定はあけておいた。ついでに当日はお腹もすかせておくからな」
「勝手に人ん家でパーティする算段するなよ」

 いきなり誕生日を言ったと思ったら、そういうことか。

「どちらにしろ春休みはバイク免許の合宿に行くんだから、ずっと会うだろう。わざわざお祝いしなくても、その時ついでに祝ってやるよ」
「そんなの駄目に決まってんだろぉ、おぽんちぃ。ぼくが生まれたね、大切な日にだぞ? それをぼくとお祝いできるなんてそりゃ……ミッキーとディズニー行くようなもんだぞ?」
「まぁ今年開園20周年らしいけどさ……」

 俺が渋っていると、佳風流は顔をぷいっとそむけて腕を組む。

「いいの。やるの、きみの家で。朝までどんちゃん騒ぎするんだ。もう決めたからな」

 ……佳風流がここまで強弁を張るのも珍しい。
 どちらかと言えば押せば引き、引けば押してくるタイプだから、ここまで何かを強要してくることがないのだ。そこまでうちでお祝いしたい、ということなのだろうか。
 そこまで望むのであれば、俺も否定することはない。

「えっ、本当? いいの?」
「まぁ誕生日だしな」
「そうかそうかぁ……もう決定だぞ? やっぱり嫌だって言われても受けつけないからな?」
「分かった分かった、料理にも期待しとけ」

 ひらひらと手を振ると、佳風流は満面の笑みを浮かべる。

「んっふっふっ、楽しみだなぁ。早く誕生日にならねぇかなぁ」
「……今更だけど、お前の笑い方かわってるよな」
「お、そうかい? ぜんぜん自覚なかったな」

 まぁそこまで喜んでくれるのであれば、俺としてもそこまで悪い気はしない。
 ……しかし、せっかくの誕生日当日。
 家族ではなく、俺なんかと過ごしてていいのだろうか?

   ◇

「ごちそうさま、和事」
「はい、お粗末さまです。支倉さん」

 俺の分の食器を片付けながら、和事は頭を下げる。

「ああ。俺がやるって。今日も料理作ってもらったんだから……」
「いえいえ、これくらい大丈夫です。ついでのついでですから」

 何がついでなのかはよく分からなかったが、てきぱきと働いてくれる彼女に出る幕がないのも事実だった。
 彼女の料理技術はすっかり向上した。元より俺が教えるまでもなく要領のいい子だったけれど、今ではほとんど厨房を一人で管理している。俺がやろうとすると「家主は休んでいてください」と働かせてくれない。それ以外にも、家事の一切をやってくれようとする。彼女は丁寧で仕事も早いから、ありがたいと言えばありがたいのだが。

「食器も洗っておきますから。支倉さんはごろごろしていてください。牛を、はい、推奨します」

 居間のほうに追いやられてしまった。しかし同居人が働いているというのに、横になるというのもなんとなく悪い気持ちになる。
 俺は玄関から縁側のほうに出て、洗濯ものの具合を見た。だいぶ乾いているが、まだ生乾きだ。朝露に濡れないよう、寝る前に取り込んだほうがいいだろう。

 ふと、遠くに視線をやる。
 坂の下の家には小さく明かりが灯っており、どことなく人がいる雰囲気があった。
 俺がこちらに越してから、早いもので半年以上が経っている。無理やり家の売却をキャンセルし、実家を売ることでなんとか繋ぎ止めたこの祖父母の家。おかげで吹上家への買収は免れたが、それでも和事の呪いが完全に消えることはなかった。
 代わりに坂の下の家を買い取った吹上家の人間は、そこでこちらを見張っている。
 現状では具体的に手を出してくるような様子はないが、監視している気配はいつでもあった。

「――それは、きみが町の外から来た人間だからだろうな。しかも東京方面に繋がりがある。何かあった時、吹上家は抑えることができないんじゃねぇかと、ぼくは見ているよ」

 熱心に調査してくれた友人は、俺の問にそう類推した。
 だから、機会を狙っているのだろう。俺が彼女から離れたその時を。人知れず和事をさらい、一族の問題児の始末するつもりなのかもしれない。

「――吹上って家なら、そのくらいしても不思議じゃないね。なんせ……ああ、いいや」

 そう言葉をにごした友人を不思議に思いながら、かぶりを振るような音に質問を控えた。

「――ともかく、大切にしてやんなきゃ駄目だよ……傍に置いて、さ」

 その言葉が、妙に耳の奥に残っている。あの時の言葉を、どんな感情で言ったのか……俺は忖度することができなかった。
 家の中に戻り、台所まで繋がっている通路の途中に置かれた電話の前で立ち止まる。
 今日も、鳴る気配はない。
 いっときは毎日のように受信音を奏でていた電話機も、ここ数ヶ月はうんともすんとも言わなかった。

 やつは……佳風流は、友人だった。多分、そうだと思う。
 小学校も、中学校も、それなりにしゃべる相手はいたけれど、友人とはっきり言える存在がいるのか、自信がないのだ。
 だから佳風流を友達と言ったらいいのか、この感情が友情だというのか、はっきりとは分からない。しかし、それ以外に言い表すことができない。佳風流のことは好きだ。電話がなければ心配している。
 そして、佳風流は男だ。少女のような外見をしているが、男は男。

 正直なところ、佳風流のことを女だと感じることはある。外見の問題だろう。女だと思って接してしまうことも、たまにあるのだ。
 だが、だからと言ってやつの性別が男であることにはやはり変わりがない。
 同性に抱いたということは、きっとこれが友情なのだろう――

「――支倉さん、お風呂わきましたよ」
「あ、ああ……ありがとう」

 お風呂場からひょっこりと顔を出した和事が、こちらに近づいてくる。そして電話機の前にいたのに気がつき、眉根を寄せた。

「……今日も来ませんか、灰谷さんからの電話」
「そうみたいだ」
「……吹上家のことを探りを入れてから、すっかりと途絶えてしまいましたよね。大丈夫でしょうか?」
「まぁ危険なことに巻き込まれてるようなことはないと思うけど」
「気になりますね……」

 責任を感じているのか、和事は不安そうだった。

「大丈夫。気にすることはないよ和事」
「そうですか?」
「ああ。あいつは普通じゃないから。ほら、前にも言ったけど女装して出歩いてるくらい普通じゃないんだから。常識の中で考える必要はないって。だからちょっと連絡が取れないくらいで心配しなくても大丈夫だよ」
「普通じゃない、ですか」

 和事は言葉を継ごうとして口をつぐむ。

「そうかも、しれませんね」
「ああ……お風呂、入ってくるな」

 俺は、彼女にお礼を言って、脱衣所に向かった。

   ◆

 きみの努力で、雨が止んで。
 そこに風は吹くのだろうか。

 その疑問に答えられる人間は、どこにもいない。少なくともぼくの周りには。
 唯一答えを持っている彼は、はるか彼方の最西端にいる。
 多分、ここに戻ってくることはないだろう。

「きっと、これでいいんだよね」

 ぼくはいつもの言葉を、おまじないのようにつぶやく。
 彼が消えてぽっかりと空いてしまった穴を誤魔化す、魔法の言葉だった。

 どうなったって、ぼくの日常は、灰谷佳風流の日々は続く。
 だからクラスの皆は、ぼくと話をして笑う。

『――灰谷は、本当いつも女の格好してるよなぁ』
『可愛いオカマだからアリってことか?』
『トイレとかどっち使ってるわけ?』
『本当についてるのか確かめさせてくれよ』

 それに対して、ぼくはもっと笑う。学園の中心人物として、十分な立ち居振る舞いをする。
 それがこれまでのぼくにとっては当たり前で、唯一の防衛手段でもあった。
 でもこれは、外部から自分の身を守る手段であって、自分自身から守るものではなかったのだろう。

『佳風流、どうやらお前はまた余計なことをしているようだな』
『これ以上、吹上の家に関わるな。元より力のない灰谷家にはどうすることもできない』
『踏みこむなら出ていけ。灰谷家とは関係ない者として』

『ただでさえお前は、旧家の異端児だ。灰谷家の恥を吹聴して回るようなことはやめろ』

 ……なんで、こんなことをしてるのかなぁ。
 なぜこんなことをしているのか、よくわからなかった。
 周りに笑われたり、笑わせたりしてまで、なんでこんな格好をしているのだろう。

 多分、ぼくは可愛いと言ってほしかった。
 女の子として、扱ってほしかった。
 けど、その人は、もういないじゃないか。

 矢矧桜学園に入って、元よりなかったものがぼくにはあって。
 それがなくなってしまった瞬間、ぼくのなかですべての価値を見失ってしまったようだ。

 だから、なんのために、女の子の格好をしているのか。ぼくにはよくわからなくなってしまった。
 だってぼくは、きっと誰かの望む女の子にはなれないのだから。

『大体、お前はいつまでそんな格好をしているんだ? 灰谷家の恥さらし――』

 ――もうそろそろ限界なのかな、なんて思うようになっていて。
 これまでなんでもなくできていたことが。

『俺は、あの子を放っておいちゃいけないと思うんだ』

 たった一人の人間がいなくなっただけで、簡単に崩壊してしまったのだ。

 もう自分を貫くことにも、疲れてしまって。
 だからぼくは、初期衝動なんてものが本当に存在したのか、もう覚えていないのだけれど。

   ◇

「こんちはー、かっふるんだぞー」
「軒先で叫ぶな」

 チャイムを何回か押して玄関で名乗りをあげた佳風流を、急いで家の中に入れる。
 てっきり私服で来ると思っていたのだが、佳風流は制服でやってきた。冬物のもので、とくに目新しさはない。
 そういえば夏に遊んだ時は私服を着ていたはずだったが、以外着ているのを見ていなかった。あれはなかなか可愛かったのに。

「おう支倉くん、きみの佳風流がお誕生日を祝われにきたぞ。やぁやぁ皆まで言うな! わかってる、君の熱い気持ちは! ありがとう、ありがとう!」
「いっぱいしゃべるなこいつ」

 いつにも増してハイテンションな佳風流だった。普段ですら高いのだから、あんまりだとご退店願うことになるのだが。

「えーっと、その……まぁお邪魔するわけだけど。あ、これ菓子折り。我が家から。ご母堂とご尊父様に……いないんだよね?」
「今日も仕事だよ。だから好き勝手してくれ。ほら、あがれ」
「お邪魔しまーす」

 佳風流はスカートを折って腰を曲げ、丁寧に靴を並べる。口は悪くとも育ちの良さのようなものが伺えた。

「希望通り、パーティ料理を作っといたぞ。口に合うかはわからないけどな」
「おっ、いいねぇ。あれかい? ビーフストロガノフかい? ビシソワーズかい?」
「語感だけで言ってるだろ」

 客用のスリッパでぺたぺたと俺の後をついてくる佳風流。横並びにさせようとちょっと右に寄ると、一緒に一歩分右に寄った。

「そういえば、お前が俺の家に来るのって初めてだっけ」
「そうだぞ。これまではきみが全然入れてくれなかったからなぁ」

 そうだよな、だったらそれも当然だ。家がどうなっているかも分からないんだから、俺の後ろについてくる以外にないのだから。
 居間へのドアを開けて、佳風流を誘う。視線を一周させて、ほぉと声をあげた。

「好きなところに座ってくれ」
「ん、さんきゅー」

 ソファーの端っこにゆっくりと佳風流は腰掛ける。
 そこから周囲をちらちらと伺うようにして、あまり落ち着きがなかった。
 威勢がよかったわりに、緊張している面持ちだ。

「いい家じゃないか。広いもの。そんでもってすげぇ掃除が行き届いているもの」
「そうか? まぁ俺が掃除好きだからな」
「そうか。やっぱりあれかい? 支倉くんは綺麗にしてる自分のテリトリーに人が入ってくるのは嫌なタイプなのかい?」
「いや、そんなこともないけどな」
「ほぉ、のわりにはぼくが来るの嫌がってたような気がするんだけども」
「そりゃあ……そうだろ」

 ちらり、と横目で佳風流を伺う。
 見慣れた部屋に、異物が混じっているように感じられる。マイナスの意味ではなく、ポジティブな感覚でだ。
 自分の家と同じ匂いではない人がいる、というのだろうか。
 俺よりももっと甘くて、そして違った何かを漂わす存在に思える。
 やはり、どこから見ても女の子なのだ、佳風流は。

「お前みたいな、子を、こう……おいそれと家の中には招けないだろ……一応、外見は女の子みたいなもんなんだから」

 そう言うと、佳風流はきょとんとした。
 なんだか照れくさくなって鼻の頭を掻くと、いきなりぐいと身を乗り出してきた。

「なんだいなんだいきみぃ、もしかしてかふるんが可愛くて襲いかかっちまいそうだから招けなかったっていうのかぁおい!?」
「襲いかかっちまいそうだからなんて言ってない。倫理観の問題」
「同じようなもんじゃあないか。なんだい支倉くん、ぼくのこと意識しちゃってたのかぁ? でも駄目だぞ? そういうオイタは二年以上付き合って結婚することになってからだからな? でもチューくらいだったらしてやってもいいぞ?」
「誰がするかアホ」

 調子に乗ってる佳風流の頭を叩く。
 しかしまったく気にしないでニコニコしていた。
 しかもそれ以上はまったく何も言わず、お行儀よく両手を膝の上に重ねて、肩を小さく揺らしているだけなのが余計に腹立たしい。育ちがいいのがまるわかりだった。

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挿絵その1(クリックで拡大)


「おい佳風流」
「うん。どうした支倉くん?」
「先になんかするか? それとも飯食べるか?」
「そうだね。もうちょっとしゃべってからかな?」

 どことなく、いつものふざけた口調も抜けている気がする。
 なんというか、お上品というか……気品のようなものすら感じられた。
 いやいやと心の中でかぶりを振る。それはただの気の迷いだ。
 佳風流が変なことを言うから、頭が勘違いをしてしまっているだけなのだ。一旦冷静になろう。

「うげっ! なんだいいきなり!? どうしてぼくの顔にファバリーズを吹きかけたんだ!?」
「こ、心の消毒……」
「ぼくの心が汚れてるっていうのか? おおいいぞ表出ろコラ」

 そう言いながら、佳風流はポケットからハンカチを取り出して叩くように水を拭う。
 拭き取ったそれを見つめ、眉根を寄せている。

「変なことするなよなぁ……せっかくちゃんとお化粧してきたのに……んもぉ……」

 その仕草が、妙に気になった。
 男らしく服の袖では拭わず、ハンカチを使って、しかも化粧を気にしている佳風流の様子が。
 まるで、本物の女の子みたいに感じられた。

「それでなぁにが気に入らなかったんだよおぽんち、一応この家の主たるきみの意見をきいてやらなくはないとぉ、ぼくは言っているぞ」
「別に、気に入らなかったわけじゃなくて……なんというか、消臭だ」
「はぁ、なに?」
「両親が帰ってきた時に、お前の匂いがしたら大変だからな」
「なんでだい。普通に説明したらいいじゃないか」
「いや、それも……大変じゃないか」
「なるほどかふるんのスウィートな匂いがしたら、ついに息子が童貞卒業したかと勘違いするものなぁ!」
「お前が普通じゃねーから説明するのが面倒なんだよ!」

 いつものように言って、鼻を鳴らす。

「女みたいな外見してるけど実は男で、だから家に連れこんでも何もなかったって親に説明するのが面倒だろ。そんな人間いるわけないって言われるだろうし……」

 すると、佳風流は。
 なぜかちょっとだけ視線を落として、言葉に詰まっていた。

「ああいや、別に」
「なに涙袋膨らませてんだ?」
「そういうメイクなのこれは! いいかい、ぼかぁ――」

 いつもの調子を取り戻したかと思ったが、しかし言葉が続かない。

「――ぼくは、普通じゃないのかなぁ」
「え?」
「ん、いや、なんでも」
「いや、なんでもなくは……」
「何でもない。あれだ、あー……うん、本当に、ちょっと、あっ、お腹が空いたな。お腹が空いたぞ支倉くん。食事を持てこの野郎。フルコースでだぞ?」

 佳風流はいつもの笑顔で、テーブルをちんちんと叩く。その催促する顔は、いつもの表情とほとんど変わりがない。
 俺は後ろ髪を引かれながらも、ひとまず安心して、食事の用意をするために台所に向かった。
 佳風流の悲しそうな顔は、もしかしたら初めて見たかもしれない。いや、そんなことはないか。前に向こう脛を思っきりぶつけた時も、あんな感じだったっけ。あいつは感情が豊だから、いろんな種類の表情が……。

 そこで、俺はふと思う。
 そういえば、佳風流が泣いたところだけは、一度も見たことがなかった。

 そんなことを、考えていたからだろうか。
 俺はすっかり、誕生日プレゼントを渡すのを忘れてしまったのだった。

   ◇

「……支倉さん!」

 呼びかけで、目が覚める。
 一瞬、誰に呼ばれたか分からなかった。汗が目に入ったからだ。拭うと、和事が不安そうにこちらを覗きこんでいた。

「大丈夫ですか、支倉さん……?」
「ああ、うん……?」
「えっと、すごくうなされていたので……まだ夜ですが、起してしまいました」

 障子の向こう側は、まだ夜の帳が降りたままだった。

「これ、タオルです。濡らしてきましたから……」

 彼女が額にタオルをあてがってくれる。ひんやりとしている。それが妙に気持ちよかった。
 身体が火照っているようだ。だが寒気はしないから、熱は出ていないらしい。それはあらかじめ和事が確かめてくれていた。本当に、甲斐甲斐しく働いてくれる。

「こんなことまで、してくれなくてもいいのに」
「しますよ。支倉さんのお世話なら、なんでも」

 和事にしては珍しく、はっきりと言った。

「こんなことと、支倉さんはおっしゃいますが……わたしにできるのは、これくらいです。料理に洗濯に掃除……それくらいしか、わたしはあなたに恩を返すことができません」
「恩を返すなんて、そんな……」

 なんと言葉を続けようか迷って、黙る。
 彼女はまっすぐ、俺のことを見つめていた。

「なんだか、こうしていると……あの時のことを思い出しますね」
「あの時……ああ、俺が熱を出して倒れた時のか……」
「はい。わたしのことを探し回ってくれて、それで高熱を出して、そこにわたしが……あなたはとても平常ではなかったのに、わたしのことを励ましてくれました。今でも……強く、心に残っています」

 拭ったタオルを横に置いて、和事は目を細める。

「あれから、いろいろなことがありました。食事のこと、畑のこと、呪いのこと、そして家のこと……あの時……あなたが東京からこちらにもう一度戻ってきてくれた時……わたしは、本当に嬉しかったです」

 しかしその瞳は、何かを尋ねるような色をしている。

「このままわたしのことを見捨ててはおけないと、自身の家まで売ってまで守ってくれたあなたが……わたしは……」

 本当に、真っ赤な瞳。
 すべてを見透かしてしまうような、不思議な紅色――

「支倉、さん……わたしは、あなたが望めば、きっとなんだってします。どんなことだってします。それだけ、あなたのことが――」

 彼女の熱っぽい、どこか潤んだ瞳が、俺を捉えている。吐息が吹きかかるたびに、何かが溶けてしまうような気がした。
 心臓が高鳴る。
 思わず、言葉を吐き出しかけた。

「……こっちに戻ってこようとした時、本当はすごく迷ったんだ。全部を捨ててまで、こっちに来ていいのかって」

 その瞬間に、何かが頭をよぎっていった。

「けど、その時に佳風流が背中を押してくれた。そんなに大切なら、理由があるのなら、きみの良いと思った通りにするべきだってさ。だから……後悔のない今があると思う。あいつには、感謝してるんだよ」

 彼女の目を見て、言う。

「……ありがとう、和事。でも大丈夫。もう部屋に戻って」

 和事を引き取り一緒に住むようになってから、部屋は別々にしてある。これは俺がどうしても譲らない条件として、彼女に頼んだものだった。

「はい……そうですね。すみません、お邪魔しました」

 すると和事は、何か後悔するように視線を揺らしてから、笑みを浮かべて立ち上がった。
 多分、これでいいのだ。これまでもこうしてきたから、これで――

「支倉さん」

 去り際に、和事は振り返る。

 そして少しだけためらってから、尋ねた。

「――あの時、雨の日にした、わたしの質問……覚えていますか?」

「え?」
「いえ……なんでもありません。おやすみなさい」

   ◇

「戻るのかい?」

 バイクにまたがった俺に尋ねたのは佳風流だった。
 ああ、お前が背中を押してくれたから、決断することができた。
 ……おかしいと思うか?

「そっか。ならいいんじゃねーの、それがきみの出した結論ならさ」

 佳風流は小さく笑って、頷いた。

「きみが戻れば、吹上家の人間はそこまで手出しをできなくなると思う。なにせ東京に繋がっている普通の人間だ。吹上家が権力でもみ消せる存在じゃねぇものな。そっちにいるだけで、雨衣ちゃんのことを守れると思うよ」

 その代わり……こっちに戻ってくるのは難しくなるだろう。
 だろうね、と佳風流は頷く。
 目を細めて、小首をかしげた。

「それをするだけの価値があるんだろ?」

 ああ、と頷く。
 ――あの子は普通の女の子なんだ。誰かが傍にいてあげなくちゃいけない。
 佳風流は何かを口にしかけ、しかし言葉をのみこみ、俺に尋ねる。

「どうして、あの子のために、そこまでしてあげようと思ったんだい?」

 夜の街に、バイクの音が鳴り響いている。
 立ち上る煙は、夜の闇の中に吸い込まれて消える。
 それは――
 ……多分、俺が気にしている子と同じ、寂しそうな表情をしたから、だろう。

「そっか。きみにはそれで十分な理由なんだな……まぁ、道中気をつけてな。広島辺りでわんわん泣いてたら、向かえに行ってやるからな」

 佳風流は、笑顔で見送ってくれる。
 アクセルを開き、西へと向かう。
 その表情に後ろ髪を引かれているのを、どこか自覚しながら。

   ◇

「ごちそうさま、今日も美味しかったよ」
「お粗末さまです、支倉さん。では食器を片付けますね」

 気持ちよく笑って、和事は食器を片付ける。
 ……昨日のことがあったから、少しだけ心配していたのだが。いつもと同じだった。なんとなくほっとして、朝食を終えた身体をほぐそうと外に出る。

「あっ……洗濯もの、出しっぱなしだったか」

 寝る前にとりこもうと考えて忘れていた洗濯ものたちが、だらしなくぶら下がっている。
 どうやら、朝方に雨が降ったらしい。ぐっちょりと濡れていた。これでは洗濯し直さなくてはいけないだろう。今日の野良仕事は難しそうだ。
 取りこんだ衣類を洗濯機の中に入れて再度ぐるぐる回しながら、手持ち無沙汰になったことを実感する。
 今日は3月28日だ。新学期までは、あと少し。同世代にとっては最後の学年になる。

「…………………」

 ふと、無意識のうちに受話器の前に立っていた。
 どうしてかは分からないが、なんとなく電話が鳴る気がしたのだ。
 しかし黒色の端末が鳴く気配はまったくない。

 それでも、なんとなくそんな気がして。
 俺は電話の前にしゃがみこんで、それを見つめていた。


「どうかしましたか、こんなところでぼーっとして」

 優しく声をかけられる。
 頭をあげると、和事が中腰の姿勢でしゃがみこんでいた。

「え……ぼーっとしてた?」
「はい。受話器を見つめながら、もう何時間も」

 そんなに経っていたのか。本当に、何も考えていなかったから……時間の経過を認識できなかった。

「ごめんごめん。なんかやることなくなっちゃって、ここにいたらうとうとしてたんだ……あれ、もうとっくに昼過ぎてるのか」

 数時間ぼーっとしていたどころじゃない。これじゃ気を失ってたというほうが適切ではないだろうか。
 我ながら、どうかしている。

「もうご飯食べた?」
「いえ、準備だけは済ませてありますよ。温め直せば、すぐにでも食べられますから」
「そっか。待たせて悪いな。ならすぐにでも――」

 そう口に仕掛けたところで。
 電話のベルが鳴る。

「はい。睦村ですが」

 俺は反射的にそれを手に取っていた。
 祖父母の苗字を名乗ったが、返事はない。しかしなんとなく、回線越しでも息遣いのようなものが感じ取れた。

「佳風流か?」
『……おう、よくわかったね』

 電話の主は、やはり佳風流だった。

「珍しいな。いつもなら第一声で先に名乗るっていうのに」
『まぁ支倉くんが出るかも分からないしね。ぼくも大人になったってことだよ』

 なるほど、と追従の言葉を述べながら、しかし何か違和感のようなものを察する。
 何か、変な感じがした。

「どうした?」
『うん、何がだ?』
「様子がおかしいぞ。ここのところ電話もしてこなかったし……どうした?」
『ん……ま、そうね』
「もしかして、吹上家のことで、何かあるのか?」

 和事が小さく息を呑むのが分かる。

『いや、それは大丈夫だよ。きみがそっちにいて、ずっと雨衣ちゃんと一緒にいる限りは……うん、平気だ』

 ゆっくりと息を吐くような音が聞こえる。それに車が通るような騒音も。いつものところからかけているのは間違いないようだが――

『今日はさ、支倉くんにご報告があって』
「報告?」
『うん。なんていうか、もうそろそろ、普通に戻ろうかと思って』

 普通、という言葉が素直にのみこめない。
 一体どういう意味か尋ねようとした瞬間、佳風流は続けた。

『ぼく、ちゃんと男の子になるよ』
「は?」

 思わず言葉を漏らすと、電話越しの佳風流は笑った。

『普通の女の子に戻りますーってわけじゃないんだけどね。ほら、ぼかぁ矢矧桜のシンデレラであり、学園のアイドルだっただろう? やっぱりありあまるこのオーラでだね、あっという間に人気者になったわけだ。だから――』

 だから、と佳風流。

『――だから、それももうそろそろいいかなと思って』
「そろそろいいかなって……」
『うん。もう普通の男になってもいいかなぁってさ』

 その言葉を、繰り返す。
 しかし俺には意味が理解できない。

「それって、つまり」
『女装するの、やめようかな』

 佳風流は大きくため息を漏らす。

『はぁー……よし、言ったらすっきりした。うん。やめるよ、支倉くん。ぼくは普通に戻る。ただそれを、きみにはちゃんと言っておこうと思って』
「どうしてだ?」
『いやぁ……なんかすっきりするかなぁと思ったんだ。うん。すっきり』

 静かな声で言う。
 だがすっきりしているようには聞こえない。

「なんでやめるんだ? だって、お前の趣味なんだろ?」
『趣味っていうか、まぁ生き方だったんだけども……まぁ、そうね。学校での視線とか、親からの重圧とか……それに、見せたいと思える人がいないとか、いろいろあって』

 あはは、と佳風流は笑う。

『ちょっと、疲れちゃったみたい』

 ……手に嫌な汗をかいている。

『だから、これを機に普通の男に戻るよ』

 胸に鈍痛のような何かが走る。なぜか視界が揺らぐ。
 急に冷静ではいられなくなっているようだった。

「何を馬鹿なこと言ってんだよ……」

 だから、なんとかして平静を装いたい。
 いつものように。軽口を叩かないと。

「というか、」お前は元々男だろ。

 そう、口にしようとしたところで。

「いでっ!」
 隣りにいた和事に、思い切り背中を叩かれた。
 あまりのことに驚いてそちらに目を向けると、彼女は怒ってるとも悲しんでるとも取れない表情で、ぶんぶんかぶりを振った。

 ――それは、絶対に、言っては、いけません。

『なんだ、大丈夫かい? 向こう脛ぶっつけたか?』
「いや、なんでも……それよりも、お前」
『これを、電話で伝えたのはね』

 俺の言葉にかぶさるように、佳風流は言う。

『男になったぼくを、きみに見てほしくなかったからなんだよ』
「男になった、お前……?」
『うん。せめてきみの記憶の中だけでは、学園のアイドルで、可愛らしい灰谷佳風流のままでいたいんだ』

 なんだよ、その言葉は。
 まるで、それじゃあまるで。

『だから、これで最後だね、支倉くん』

 まるで、今生の別れみたいじゃないか。

『これまでありがとう。本当に楽しかった。相手がきみでよかったと思うよ。それじゃあ――雨衣ちゃんとお幸せにね』
「おいっ――おい、佳風流!」

 ツーツー、という電子音がこだまする。
 電話は、それで切れてしまった。思わず受話器を落としてしまう。
 どういうことだよ、一体。どうして、そんなことをいきなり――
 がちゃん、という音がする。見上げると、和事が受話器を元に戻していた。

「少しお話をしましょう、支倉さん」


「はい。お茶です。温かいですよ」
「ああ……ありがとう」

 俺の自室。畳の上のおぼんに置かれた湯呑みを手に取り、口をつける。しかし何の味もしなかった。温かいのか、ぬるいのかすらもわからない。頭の中は、先程の会話でいっぱいだった。

 佳風流は女装をやめるという。
 そのことで、俺はひどく動揺しているらしい。
 だが、なぜだろう。
 あいつは元より男だ。それが男の格好をするという。それのどこに問題があるというのだろうか?
 だって、そうするのが当たり前で。普通のことなんだから――

「普通って、一体何なんでしょう?」

「それは……言葉通りなんじゃないか? 一般的である、ってことだよな」
「そうですね。普通って、そういうものだと思います」

 和事は湯呑みの飲みくちを指で擦りながら、言葉を選ぶ。

「灰谷さんは、普通ですか?」
「佳風流……?」
「支倉さんは、灰谷さんに対してよく『普通』とおっしゃっていましたよね。灰谷さんも、先程『普通になる』とおっしゃっていました」

 和事は首を傾げる。

「男性でありながら、女のようにありたいと願って、女のような外見で、女のように振る舞う灰谷さんは、普通と言えるのでしょうか?」
「それは……普通、ではないだろう。男が女装しているんだ。当たり前に考えたら、普通じゃないと思うよ」

 俺はこれまで、そう思ってきた。そしてあいつに対して、普通になれと言ってきたのだ。それを誤魔化すことはできない。
 だから偽ることなく、和事に伝える。

「そうですね。確かにそうです。正直に言っちゃいますと……わたしも、灰谷さんは普通じゃないと思います。可愛いですけど、男の人ですから。あまり普通ではないですよね」

 すると彼女は大した否定もせず、素直に頷く。
 代わりに、人差し指を一本立てた。

「……でしたら、魔女は普通でしょうか?」
「え?」
「魔法を使う魔女は、普通って言えるんでしょうか? 雨を降らせることのできる魔女は、一般的でしょうか?」

 それは……彼女自身のことを言っているのだろう。
 魔女と呼ばれて、村八分になされてきた自分のことを。

「和事は、普通の女の子だよ」
「ふふっ、ありがとうございます。支倉さんなら、いつだってそう言ってくれるって、和事は分かっていました。なので、ついわざわざ尋ねてしまうんです」

 自分のおちゃめを笑うように、口角をあげる。
 そしてふと、真面目な表情を浮かべた。

「魔女のわたしが普通なのに、女装をしている灰谷さんは普通じゃないのでしょうか?」

 彼女は、あえてなのか、平坦な声だった。
 確かに……それを言えば、魔女だって一般的に普通じゃないと言えるだろう。しかし俺にとって、呪いがあろうと和事は和事であり、普通の女の子だ。
 だって、そう感じるのだから。

 だったら……男でありながら女装をしている佳風流は、それが女の子だと感じることがある佳風流は、俺にとって普通じゃないと言い切れるものなのだろうか?

「これは、認識の問題なのかな……と思うんです。わたしと、それに支倉さんが……そう思うかどうか、という」

 だって、と和事。

「だってそれ以外の答えは、とっくに出ているんですから」

 ぽつぽつと、雨が窓を叩く音が聞こえる。
 外に視線をやると、空は曇り空となっており、しとしとと雨が降り注いでいた。

「……あの時のことを、覚えていますか?」
「あの時?」
「あなたが熱で倒れ、わたしと話をした時……ここで、わたしが尋ねたことです」

 ああ、覚えている。
 あれは、確か……。

 ――どうしてあなたは、そこまでして……わたしに、優しくしてくれるんですか?

「それに対して、あなたはこう答えたんです」

 熱にうなされながらも、それでも妙に頭はハッキリしていて。
 普段は至らない部分にまで、思考が及んで。

「『俺が気になっている子と、同じ表情をしていたから』……って」

 確かに、こう答えたのだ。

「あの頃のわたしは、自分の寂しさを殺して生きていました。寂しいと、苦しいと叫びたいと、いつも思っていました」

 鮮明に思い出した。

「その心を、なんとか殺して生きていました。押し殺して、押し殺して、何とか人を遠ざけて。それでも自分が傷つかないようにと――」

 そう。その頃の表情は、まるで。

「――ずっと、無理に笑顔を浮かべて生きていました」

 出会った頃の、佳風流と同じ顔だったのだ。
 そんな悲しい顔と、とてもそっくりだったから。
 だからこそ俺は、雨衣と名乗る少女に、手を差し伸べたのだった。

「わたしは、あなたのことをもう一度だけ遠ざけようとしました。そしてあなたは、東京へ帰っていった。それでも灰谷さんに背中を押してもらうことで、わたしのところへ戻ってきてくれました。こんな女を見捨てられないという、ただそれだけの優しい理由で。だから、きっと――」

 彼女は、言いよどむ。
 しかし、ゆっくりと目をつむった後に。

「――きっと、その時から……あなたの心は、東京に――灰谷さんのところに、置きっぱなしになっているんだな」

 そう、はっきりと言った。
 俺はただただ、その言葉に聞き入っていた。
 佳風流のことは、最初から気になっていた。少年と少女の入り混じった、不思議な人間だったからだ。
 だが佳風流は、男として俺に接した。だから俺も、そうしなければいけないと思った。それこそが、一番大切な距離感なのだろうと。

 いや、けれど、しかし。
 それは違うのかもしれない。
 そうじゃなければ、佳風流は自分を守れなかったのだろう。『女装をしている面白い同級生』としてでなくては、世間と接することができなかったのではないだろうか。
 俺のような認識をする周囲から、自分を守ることができなかったのではないだろうか。
 ただただ孤独に『普通じゃない』のレッテルを張られた佳風流がなんとか生きていくには、それしか方法がなかったのではないだろうか。
 家から糾弾され、学校でも笑われるだけの日々の中で。
 もしも、一人だけでも、認めてくれる人間がいれば、それで救われたはずなのに。
 それに――俺はまったく気づけていなかったということなのだ。

「これは――なんというか」

 ただただ、歯がゆい。
 だって佳風流は、ずっと自分は女の子なのだと口にしていたのだ。
 ただ、俺に対してだけ、ずっと。
 その意味にも、俺は気づかなかった。
 無神経なことを言って、佳風流が笑った時に、心では何を思っていたのだろう?

「……本当に、おぽんちで、ナメクジだよ、俺は」

 自分をバカだと罵るつもりはないけれど。
 いや、しかし……それ以外の言葉がなにも出てこない。あまりに考えが狭すぎる。狭量だった。相手に対しても、自分の認識に対しても。

 過去のことは、もう言っても始まらない。
 問題は、今だ。

「どうする……」

 何をすればいい。
 俺は何をしたらいいんだ。
 何をしたら、佳風流は救われるのだろう――

「雨は、もう止みました」

 顔をあげる。
 和事は、笑っていた。

「あの時、わたしは呪われていると忌み嫌われたわたしのことを、普通の女の子だと、そう言ってくれたあなたに救われたんですよ」

 彼女はその言葉でもって、俺のとるべき行動を指し示した。
 ああ、そうか。
 確かに、それしかやることはない。
 ならば今すぐにすることは、ただ一つ。

「――来たんだからさ」
「はい」
「ここには、来れたんだから」
「はい」
「戻るのだって、できるはずだよな……!」
「……はい、あなたならきっと!」

 和事は大きく頷いて、洋服を取り出す。黒いジャケット。冬用の防寒着だ。それにマフラーと、厚手の手袋も。
 羽織ってすぐに、部屋を飛び出す。他の準備は何もしていない。だがそれでいい。
 バイクのエンジンをかける。外はまだ寒いから、古いバイクには暖機が必要だ。
 しかしそんなものすら、今の俺には必要ではない。

 だって今すぐにでも、向かわなくちゃいけないのだ。
 佳風流の元へ。
 少しでも、あの子の孤独な時間が長くならないように。

「……それじゃあ、行ってくるよ和事」

 バイクにまたがって、玄関に立つ彼女に声をかける。

「はい。後のことは任せてください……」

 和事は当たり前のような顔をして、背中の後ろで手を組む。

「……どうか、道中お気をつけて」

 ああ、と返事をする。
 それが聞こえたのかは分からない。もうそれすらも気にならなくなっていた。

 急がなくちゃ。
 早く、行かなくちゃ。
 一刻でも早く、佳風流の元に。

   ◇

 ……行ってしまいました。
 どんどんと、バイクの音が遠ざかっていきます。

「……ああぁぁ~……余計なことを言ってしまったな。バカだな、本当にな」

 今更になって、自分の不甲斐なさに呆れます。
 あれだけ好きな人を、自分から遠ざかるようなことを言ってしまうなんて。
 いや、それは最初もやっていましたね。ということは、これがわたしの性分ということでしょうか。

「家事とか、頑張ったんだけどなぁ……」

 少しでも、あの人の心がわたしのところにあるように、必要な努力はしたつもりだったのですけれど。
 それでも、駄目なものは駄目なようです。

「でも……これで、正解ですよね」

 ……うん、そのはずです。
 あの人のことを、本当に大切だと思って考えたのなら。
 あの人が一番好きな人のところに、心を帰してあげるのが、もっとも大事なことなのです。
 その結果、自分から離れていくことになったとしても。
 きっと、大丈夫です。
 わたしは、これから一人でも。たくさんの思い出の中でも、生きていけるはずですから。

「というより……あれだけお傍にいても、一度も抱いてくれなかったんですもんね。たくさんチャンスを与えられたのにモノにできなかった、わたしの負けですよ」

 そう言うと、なんだかあまりにも自分がバカバカしくて、笑ってしまったのでした。

   ◆

 今宵の月は、何色だろう。

 そんな風情なことを思いながら、ぼくは外に出た。ちょっとした散歩だ。もう家族にも、何も言われなくなっていた。母以外は皆、ぼくのことに関する関心を失っているらしい。それでもいい、と思う。今後は、少しだけ変わってくるだろう。
 だって、この制服を着るのも今日で最後になるだろうから。

 こうやって夜に歩いていると、昔のことを思い出す。  ぼくが、初めて女の子になりたいと思った時のことだ。
 あの頃、ぼくはどうしてもお母さんという存在に憧れていて。なりたくてなりたくて仕方がなくて。
 だから祈ったのだ。夜、家から抜け出して、願いが叶うという伝説の電柱の元で、毎晩毎晩。どうぞぼくに、少女のような外見を与えたままにしていてください、と。
 何とも荒唐無稽なことだが、しかしよくよく考えてみれば。
 あれこそが、ぼくの初期衝動の現れだったのかもしれない。

「……本当に、バカだな。ぼくは……」

 自嘲して、歩いていく。
 そんな馬鹿な自分を思い出すためだけに、電柱のところへ行こうとは思えなかった。
 あてもなく彷徨う散歩。何も考えていなかった。ただただ、虚無の中を歩いているだけのようだった。
 だからだろうか。ぼくは普段の散歩道を辿っていた。
 それに気がついたのは、小さな電話ボックスの前に着いた時だった。

「……ここで、いつも彼に電話してたっけ」

 半透明のボックスの前に経って、あははっと笑い声をあげる。
 なんだかんだと、ほとんど毎日のように通っていたっけ。親に聞かれると都合が悪いから、なけなしの貯金を全部下ろして、ほとんど同じ時間に電話してたんだ。もしかしたら、今日も電話が来るかなと思ってくれるかなぁなんて思ったから。

「我ながら、健気だね……バカだよ、本当」

 もうそんなこと、二度しないんだから。
 ぼくはもう、彼には会わない。そう決めていた。
 だって男になった姿なんて、好きな人に見せられるわけがないじゃないか。大好きだった人に、すべてを諦めた姿なんて、見せられるはずがないじゃないか。

 だから、ただせめて。
 彼の中だけでは、可愛く面白おかしいかふるんとして生きていたいのだ。
 仮に、すべてを失ったとしても、ぼくは。

「ぼくは、それで満足だからさ……」

 電話ボックスに背中を預けて、その場にへたり込む。座るつもりはなかったが、自然と腰が落ちていた。

「……だから、きっとこれでいいんだよね」

 また、空を見上げる。
 今日は、月が出ていた。綺麗な月が。
 そういえば、伝説の電柱に向かったあの日々も、同じように綺麗な月が出ていたっけ。

「もしも――」

 今、ぼくが魔法を願うとしたら。
 一体なにを願うだろう?
 本当に女にしてほしい、と願うだろうか? それとも周囲の好奇の目をやめてほしい、と祈るだろうか? もしくは家族の厳しい視線をなくしてくれ、と望むだろうか?

 それとも、もしくは。
 たった一人好きになった彼に、合わせてほしいと願うだろうか――?

「―――――」

 何かが、聞こえる。
 遠くから、響くような音。

「―――ふ――!」

 バイクのエンジン音だ。
 かなり回しているらしい。

「――か―――る――――!」

 その雑音の中に。
 誰かを呼ぶ声がする。

「――か、ふ――――る!」

 ぼくの名前を、呼ぶ声が――

「――――佳風流!!」
「はっ……支倉くん?」

 ぼくの目の前で止まったバイク。
 それから降りた人物に、ぼくは言葉を失った。
 支倉くんが――支倉貴之が、ぼくの目の前に現れた。

「えっ、は、え? 何で? どうして、支倉くんが――?」
「お前に、会いにきた」

 意味がわからない。なんでいきなり支倉くんがぼくに会いにきたんだ?
 だって彼ははるか彼方、本州最西端にいるはずだ。
 そんな支倉くんが、わざわざ東京までぼくに会いにくる理由が――

「佳風流!」
「えっ、はいっ?」

 メットと手袋をとった彼は、ぼくの首根っこを掴んだ。
 と思ったら、そうではなかったらしい。
 ぎゅっと、抱きしめられていた。力強い包容。彼の身体を感じる。とても好きな匂い。隠れて想いを寄せていたときから、ずっと好きだった香り……。

「ごめんな、これまでずっと無神経なこと言って!」
「え、ちょ、えっ……なになに、なんなんだ? これはどういうことだ?」
「いいから黙ってろ。大切なことを言うから」

 耳元で、彼の声がする。
 電話越しではなく、生の彼の声。すごく素敵で、彼の気に入っているところの一つ。甘すぎず、だが心のどこかに響く声。
 しかし久しぶりに聞いたそれは、とても真剣な色を帯びていた。

「佳風流」
「は、はい……」
「お前は……確かに、あんまり普通じゃない!」
「なっ……はい……」
「かなり、普通じゃないと思う! 世間一般的に見て、普通とはいい難いだろう!」
「うん……そう、だな……」

「……けど、俺もあまり普通じゃないんだ!」
「はぁ……っ!?」

 一体これはなんの告白なんだろう。まったく、もう、わけがわからない。
 なんでぼく、抱きしめられて、謝られて、暴言吐かれて、自虐されてるんだ?

「だからな、佳風流」
「う、うん……」
「俺も普通じゃないけど、普通にお前が好きだよ!」
「へっ……?」

 一旦包容を解き、彼はぼくの両肩を握りしめる。

「お前は自分のことを普通じゃないって言った。世間の連中だって、同じことを言うだろう。一般的に見たら、そうなのかもしれない」
 けれど、と彼は継ぐ。
「けど俺にとって、お前は普通の女の子だよ」

 普通の女の子。
 それは、ぼくにとって。
 ぼくにとって、彼に二番言ってほしかった言葉で――

「だから俺は、普通の女の子のお前が、普通に好きだ!!」

 それが、一番言ってほしかった言葉だった。
 だからもう、何だか、訳が分からなくて。もう頭が変になってしまいそうで。
 思わず、最初に笑いが漏れた。

「な、なんだいなんだい……いきなり現れて、馬鹿なこと言うなよきみ?」
「馬鹿なことを言ったつもりはない!」
「女の子って、そんな第一……支倉くん、ぼくはあれだぞ? おっぱいとかないんだぞ?」
「ああ!」
「まぁ君への恋心で女性ホルモンがドバドバ出てるから多少身体が雌化しているとはいえだよ? それでも、ぼくはそんな……揉めるほど胸とかないぞ?」
「わかってる!」
「そ、それにあれだもの……ぼくには、ついてるぞ? 股間に」
「知ってるよ!」
「立派なのだぞ? らてっ、ラテンの国の女でも、ひぃひぃ言わせられるようなのがついてるんだぞ?」
「それでもいい!」
「いいのかい、それで?」
「そうだ!」
「ほっ……本当に、いいんだな?」
「ああ!」
「でも……ぐすっ……それでもか?」
「そうだよ!」
「それでも、ぼくと一緒になりたいって言うんだな?」
「お前じゃなきゃ、多分ダメなんだ!」

 彼はまっすぐな視線で、ぼくに言う。
 ぼくは、もう我慢ができなくて。

「じゃっ、じゃじゃじゃ……じゃあ付き合うよぉ……」

 ぼろぼろと、涙と。
 情けないほどの本音が。

「だって、だってぼく……君のことが、ずっと好きだったんだものぉ~……」

 ずっと思いながらも、言えなくて。
 ずっと流したかったのに、出せなかった。
 その二つが、一緒に心から溢れて、流れていってしまった。

「佳風流、俺もお前が好きだ」

 その最後の一言で、いろんな感情が、崩壊してしまう。

佳風流022
挿絵その2(クリックで拡大)


「うぐっ……うわああぁぁ~……はっ、支倉ぐぅん……っ」

 ああ、そうなんだ、ぼくは。
 これまでのぼくでいいんだって。この人と一緒にいてもいいんだって。
 そんなことを、確信してしまったから。

「お、おいっ、そんないきなり抱きつくなよ」
「支倉ぐん……じ、じあわぜっであるもんだなぁ~……!」

 だから情けなく、これ以上なく恥ずかしい状態で、彼の胸に飛び込んだ。

「……そんなに、泣くなって」
「んぐっ、うぅ……うおぉぉん~……」
「お前、泣き方まで変わってるんだな……あははっ」
「んふふっ……。そうだぞぉ……きみはなぁ、本当に変わりもんを……彼女にしたんだからなぁ~……責任をとれって、ぼくはぁ……」
「わかったわかった……とりあえず、落ち着いてから話は聞くから。今は泣きながら喜んどけ」

 彼が、ぼくの頭をぽんぽんと叩く。
 そこでまた、確信する。

「なぁ、今日が何の日か知ってるか?」
「えっ……何の日だっけ?」

 ああ、そうか。そうなんだ。

「今日は、お前の誕生日だよ。おめでとう、佳風流」
「そりゃあ……最高のプレゼントだよ、支倉くん」

 ぼくはもう、この人の前で、普通の女の子でいていいんだ、って。

   ◇

「荷物はこんなもんでいいのか?」
「ああ、うん。元々あんまり持ってないからな」

 大きなカバンを一つだけ持って訪れた佳風流は、家の中を見て感嘆の声をあげた。

「おー、こりゃうちとそう変わらない広さじゃあないか。なかなか立派なところに住んでたのねぇ」
「慣れればわりといいところだぞ」
「その代わり、近くにコンビニも何もないみたいだけどね」
「それどころか最寄りのスーパーまでバイクで一時間はかかるぞ」
「そりゃ大変だ。けど空気はうまいし、静かだし……悪いところじゃなさそうだよ」

 縁側から四方を囲う山々を眺めながら、佳風流は言う。
 俺たちは、こっちに戻ってきた。
 元より、そのつもりだったのだ。佳風流は、あっちの家では暮らしづらい。環境のこともあるし、家族のこともある。それがストレスの原因になっているのは間違いなかった。
 それならば、誰もいない田舎で一からはじめたほうが気が楽だと思ったのだ。ちょうど新学期ということもあることだし、学校だって俺の後ろに乗っていけば万事が解決だ。身元を引き受けることに関しては、灰谷家の恥とまでいうなら田舎に引っ込めさせろと言ったのもと、家に対しては効果があったようである。我ながらなかなか喧嘩腰だったが、こうして無事戻ってくることができた。

「……本当にいいんですか、こっちに戻ってきても……?」

 そのことに関して、和事はとても驚いていた。
 彼女はもうこないと思っていたらしく、俺たちがここに戻ってきた時は、涙で目を真っ赤に腫らしながら片付けをしているところだった。俺の顔をみた時の彼女の表情といったら、なんとも言えないもので、申し訳ないと思いつつも笑ってしまった。

「当たり前だろ。和事を放っておくわけにはいかないんだからさ。むしろ……ちょっと部屋が狭くなっちゃうけど、ごめんな」
「えっ、いえっ、わたしはあの家に戻りますから! さすがにお二人の愛の巣にお邪魔するのは……!」
「いやいや。和事のほうが先に下宿してたんだから、気にしなくていいんだよ」
「でも……」

 彼女は気まずそうに、ちらりと佳風流を一瞥する。
 その視線に気づいた佳風流は、ふぅむと腕を組んだ。

「まぁここに生活することで、きみにとっていいことが一つ」
「いいこと、ですか?」
「うん。これでもぼくは灰谷家だからね。さすがに関東の旧家の嫡子に手は出しづらいはずだから、よりきみの身柄が安全になるわけだよ」

 えっへんと胸を張ってみせる佳風流に、ぽかんとする和事だった。
 しかしこれも本当に和事にとって大きなメリットなのだ。なにせ俺がいなくても、身元の心配をする必要がなくなるのだから。
 彼女にとっては行動範囲も広がる、いい条件なのである。

「それは……わたしにとっては、とてもありがたいこと、ですね」

 しかし和事には、あんまりぴんと来ていないらしい。

「こちらのメリットって言う面ではだねぇ」

 それに対して、佳風流は咳払いする。

「これから彼と生活する上で……どうしても彼に性的な満足を十分を与えられない可能性があるだろう? ほらっ、当方、肉体は女ではないもんだから」
「は、はい……!」
「そういう時に、きみが代わりに蜜壺に挿入することで、二人で性的充足感を与えるというわけだよ」
「えっ、いいんですか……!?」
「肉体だけだぞ! しかもその時だけね! 基本的に彼はこっちのものだからね!」
「うっ、ぅ……それでも……! それでも構いません! 都合の良い女だとしても……一瞬でも、わたしがあの人を幸せにしてあげられるなら……!」
「何を言ってるんだお前らは」
「いてっ。なんだよ。性魔神の彼のために、こっちが上手く話を進めてあげてるんじゃあないか」
「バカなことを言うんじゃないよ」
「でも好きだろ、3Pも」
「まぁ興味はあるけれども……!」

 そういうことじゃないっつうの。
 そんなごちゃごちゃしたお家事情にはあまりしたくないのだ。
 ……いや、興味はあるけどさ。

「しかし、なかなか話が分かるようだね……田舎のお嬢様だなんて聞いたから、どんなカマトトが出てくるかと思ったけど……同居人としては悪くないじゃないか」
「いえいえ、そんな……わたしこそ、古くから彼のことを知っているということを振りかざし、独占欲の強い人なのかと思っていたんですが……とても心の広い方で……!」

 何だか妙なところで仲良しになっていた。
 まぁ女同士(?)だからごちゃごちゃするかなと心配していたから、こうなってくれるのはありがたいのだけれど。

「ということで、今後はこの三人で生活していくことになるから。改めて、お互いによろしく」
「はい。じゃあ改めて。わたしの名前は吹上和事と申します。よろしくお願いします、貴之さん、佳風流さん」

 和事は、深々と頭を下げる。
 その次を促すと、佳風流も咳払いをした。

「うん。じゃあぼくも――いや、私も」

 彼は……いや彼女は、こそばゆそうに笑う。

「私の名前は灰谷佳風流。支倉くんの……貴之くんの彼女になりました。だからきみはこれから、そしてあなたはこれからも、末永くよろしくね、和事ちゃん、貴之くん!」

あとがき

ご無沙汰しております、はとのす式製作所です。
明日はエイプリルフール、3月31日の朝に「何かそれらしい嘘企画をやろうかな」などと思っても、さすがにそんな時間もなく。
そういえば4月1日は佳風流の誕生日だったということで、あの子のルートはこんな感じだったと思います、というテキストを書いてみました。
寝起きの思いつきだったのでSSだけの予定だったのですが、イラスト担当が「挿絵がないと駄目なのでは?」と頑張ってくれました。
ノリのいいサークルでありがたいですね。

佳風流
こちらのシートは企画当初に作ったものですが、佳風流の誕生日は最初から4月1日に決まっていました。
「冗談みたいな男の娘」というところから来ているものです。
(ちなみに和事は『7月22日』となっているのですが、作中ではとっくに過ぎてしまっている状態です)

しかしながらルート自体はまったく考えておらず、「可愛いと言われるサブキャラになればいいな」と考えておりました。
なのに何故か「告白されるシーンだけは参考テキストとして書いておこう」と思ったようで、同シートに箇条書きがされていました。
今回のSSはその部分が元になっています。

本SSのルートは「和事の問題が佳風流のおかげで本編中よりも早く解決し、一度東京に戻りながらも再び田舎に帰ってくる主人公」というA面とB面の間の子のようなところから始まっています。
ある意味でいいとこ取りであり、ハッピーエンドであり、何にも続かない物語となっています。
和事と佳風流の距離も、様々な経験を積んだ和事が歩み寄ることで、ちょっとだけ近づいています。

某座談会形式ラジオにて「佳風流はまったく泣かないんですよね」とおっしゃっているのを聞いて、確かに本当だと思いました。
その佳風流が泣く時はいつなのかと勘考した時、やっぱり嬉し涙であってほしいなぁと感じました。
おかげで『雨衣カノジョ』という話に決着がついたように思えます。
作品は一人で作っているものではないと、本当に感じさせられますね。

それでは読んでいただいた皆様、そして関わっていただいた皆様、本当にありがとうございました!
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